7月14日に提出されたレポートを見本にアップしました。
【レポート1】は読みやすく、分かりやすく、構成もしっかりしているし、非常によくまとまっているレポートです。【レポート2】は、授業の素材を使用しつつ、書いた人の考えがきちんと述べられており、好感の持てるレポートです。とはいえ、両方とも誤字(「民族学」と書かれることが多い)脱字、その他問題点もあったので、それは多少改変しています。

【警告】剽窃を見つけたら不可とします。

【レポートを書くコツ】

【レポート1】
情報化社会が民俗学に与えた影響はなんだろうか。
 「インターネットなどの普及による情報化社会は民俗学の対象となる事物に変化を与え
たのか」という問いに対する私の考えは変化を与えたという考えである。なぜなら、情報
化社会になるにつれ、民俗学の対象とするものはよりエンターテイメント的なものに変わ
ってきたと考えるからである。たとえば、祭りなど大規模な民俗的行事はいまや刊行の目
玉になっているところが多い、これは、その土地の伝統として伝わってきた祭りというも
のがいまや観光のための行事としての側面を持つようになってきたのではないか。「今週
の気づき」というホームページの「「祭り」の復権」というコラムにこうある。「日本の
祭りは単なるエンターテイメントではなく、共同体としての神事でもあったわけである」。
この考え方は、祭りを情報として伝える側や観光としてみる側にとっては当てはまらず、
「祭りとはエンターテイメント」という考えがあって行動に移しているのではないのだろ
うかと考える。このように、今の民俗学は情報というものにより、より大多数のエンター
テイメントとして姿を変えたのではないかと私は考える。
 では、民俗的な行事がエンターテイメント化することは悪いことなのだろうか。私は悪
いことではあるが、そこには仕方がない面があると考える。民俗の風習、伝承などは時代
や制度とともに変わっていくものである。少し前の時代にあった産業化、そして今の時代
に起こっている情報化という波が古来伝わってきた文化というものを変えてきているので
ある。しかし、その変容のせいで多くのものが失われてきたのも事実である。それは物理
的なものもあり、精神的なものもある。物理的なものはその土地に根付いた建物などであ
る。たとえば、「沖縄では赤瓦を県で奨励しているが、台風や手入れの大変さ職人の減少
などでコンクリートが主流になっているそうである」。精神的なものとは、人々の土地へ
の考え方や共同体としての地域住民の考え方が変わってきたことである。現代の考え方で
は、土地は自分のものであり、住民はたまたまいっしょに住んでいたという考え方なのだ
ろうか。しかし、古くからの考えでは、自分たちは土地の一部であり住民とは力を合わせ
て暮らしていくという考えだと考える。民俗学の対象となる事物は時代や文化や人々の思
想によって変わりやすいものなのである。
 次にインターネットは民俗学にどのような影響を与えたのだろうか。インターネットの
普及により誰でも情報を発信、受信できるという双方向のコミュニケーションが可能にな
り、より情報を集めるという点において便利になっただろう。しかし、民間伝承を採集す
る時に大切なことは「文書と孤独に付き合うのではなく、人体、心身を通して見る(観察)、
聞く(聴取)、感じる(感応)という、すぐれた対他的な関係性を重視した点である」と
川村邦光著『〈民俗の知〉の系譜』にある。その点インターネットで得た情報とは擬似的
なものでしかないのが欠点なのである。擬似的なものに基づき発信される情報は悪いこと
ではないが、実際に体験したことに基づいた情報に比べると情報に対する信頼性というも
のが薄れる。上にも書いたように実際に見て、聞いて、感じることは擬似的では得られな
い多くのことを得られるのである。インターネットによる情報だけでは限界というものが
あるのである。
 しかし、インターネットで情報を発信、集める利点ももちろんある。インターネットで
情報を公開して発信することにより、今まで興味のなかった人たちが興味を持ってくれる
だけでも大きなものである。一人一人の意識に民俗学というものを認識させるだけで今後
の民俗的な事物のあり方に対する意識も変わってくるだろう。さらに情報を集める場合、
知識のある人からの情報を得られる可能性が高いという利点がある。インターネットによ
り、まったく見ず知らずの人から情報を得るということが可能になったのである。上の段
落ではインターネットによる情報の限界を述べたが、インターネットでしかできない情報
の発信、収集というものもあり、それはこれからの民俗的な事物を伝える上では必要なも
のだと私は考えるのである。
 最後に、民俗社会と情報化社会の違いは何なのだろうか。民俗社会とは交通の未発達、
情報の伝わる遅さなどが原因で、大都市以外はある程度「閉鎖された環境」におかれた社
会である。それゆえに、住民同士の共同性が強まることや、何代にも渡るほどの長さで定
住することにより土地へ対する愛着も強いのであろう。さらに、大体の事象において科学
の未発達によりなぜそれが起こるのかがわからずに、「神」というものの存在を見つけ敬
ったのだろう。情報化社会はどうだろうか。民俗社会に比べ交通、情報の速さなどはくら
べものにならないほどに発達し、開放された社会をなしている。民俗社会とは逆にその開
放さゆえに、共同性、定住性が薄れていっているのではないだろうか。そしていろいろな
事象に対して科学的な目でみることによりあらゆることを解析し、そこには民俗社会で言
う「神」は存在しないのである。民俗社会は「集団の社会」であり、情報化社会は「個人
の社会」であるのではないだろうか。それゆえに集団の社会で出来てきた「民俗学」は、
個人の社会の「民俗学」になってきているのではないだろうか。
 民俗学の対象とする事物は、その時代の文化に影響を受けやすいほどに脆い面がある。
しかしそれは時代に合わせて形を変えるという柔軟な面でもあると私は考える。
                             (40字×59行、2228字)
参考資料

【レポート2】
インターネットや携帯電話の普及をはじめとするいわゆる情報化社会は、民俗学が扱
ってきた事象を変化させたか

 「インターネットや携帯電話の普及をはじめとするいわゆる情報化社会は、民俗学が扱
ってきた事象を変化させたか」という問いに対する私の答えは、「変化させた」である。
 インターネットや携帯電話が普及するまでは、同じ日本でありながら、それぞれの土地
が独特の文化をもっていて、外の世界には情報が流れず、その土地の人のみで祭りなどの
行事がおこなわれていた。しかしインターネットや携帯電話の普及のおかげで、簡単にそ
の土地独特の行事などを知ることができるようになり、そのことを目的にその土地にいく
ことができるようになった。その土地の人々も、最初はよそ者が祭りなどの行事に参加す
ることを嫌がっていたかもしれないが、いまとなってはその観光客などの収入で暮らして
いるところもすくなくない。その土地の人々も観光客に伝統の文化を話すなどして収入を
得ている。これらの点から私は変化させたと考える。
 インターネットや携帯電話の普及は、コミュニケーションのあり方も変化させてしまっ
た。昔は、インターネットどころか電話すらなく、離れた人に話しにいきたいときは、会
いに行くか、手紙を送るしかなかった。民俗学を勉強するまえまでは、「便利になったん
だからいいじゃん」くらいにしか思っていなかったが、昔のしきたりなどを知っていくう
ちに、たとえ不便でも昔のいいところは残しておいたほうがいいのかなとも思った。いま
では電話やメールなどは相手の顔を見ることなく平気でおくってしまうが、落ち着いて考
えるととても冷たいことだなと感じる。
 昔は会いに行くならもちろん元気な顔を見られ、いざ会ってみると話すこともふえてく
る。手紙は手紙で手書きなのであたたかみがある。私もメールがきてもなんとも思わない
が、手紙でくると少しうれしい気分になる。やはり昔は昔でもいいところはのこしていか
なければいけないのではないだろうか。
 授業内で「火祭」という映画をみたが、その映画でも情報化社会がはいりこんできてい
た。本来なら祭りは地域の人々と地域出身の人のみでやっていたが、ほかの土地の人も参
加していた。地域出身の人は部外者をとてもけむたがっていた。その気持ちは私にも少し
わかった。今までみんなで守ってきた文化や伝承などが部外者の侵入によって壊されてし
まうような気がするからだ。最近ではテレビなどでもいろいろな島の文化などが普通に紹
介されているが、最初のころはとても困難だっただろう。【→少し誤解があるようですが。】
 「火祭」のあとに「秘祭」という映画を見たが、これも同じような内容だった。こちら
は島に都会の会社員が入り込み、開拓の話しをしていくという話だったが、以前島にきた
会社員は行方不明になってしまっている。結局、この後にきた会社員も島の秘密を知りす
ぎて最後は島の人に殺されてしまう。このような話は映画だけの話ではなく、昔は実際に
もこのような話があってもおかしくないと思われる。島などに住む人は先祖代々住んでい
るので、住民同士の結束力も強く、とても外の世界にもれるとは思えない。やはりいくら
仕事とはいえど、あまり深いところまでは入り込まない方がいいと思った。
 さて、インターネットは民俗が扱った事象を変化させたと思うが、Yahoo!などの検索サ
イトで「民俗学」を検索するだけで、非常に多くのサイトが出てくる。インターネットの
普及によって、いままで閉鎖的にしてきた島や村などに住む人々もその土地のみの農業や
漁業だけでは生活ができず、積極的にホームページなどをつくり、地域の宣伝をして、観
光客からの収入を得ているのだ。
 しかし、それが必ずしも良い方向に向かっているわけではなく、悪い例もある。日光な
どでは、観光客が猿に餌をあたえたために、猿の数も増え、人間に慣れてしまい、土産店
などをおそうようになった。これを考えると、観光客を集めることの善し悪しも微妙なと
ころだと思われる。
 授業で遠野の語り部の映像作品を見たが、その映像作品に出ていた人たちは、取材を受
け、報酬をもらっていた。その金額は、とても高いなあと驚いた。いくらその土地の文化
などを説明するとはいっても、話すだけなのに、料金をとりすぎではないだろうか。
 しかし、そのような仕事をしてまでも、その土地の文化や伝承を守っていこうとするの
は、立派なことだと考える。おそらく、このような土地に生まれた人は、生まれた時から
いろいろと話を聞き、自然と文化や伝承を覚えていったのだろうと考えられる。
 すなわち、その土地土地の文化をまもっていくのは素晴らしいことで、われわれも、そ
れをこわさないように協力をしていかなえればならないと考えた。
                             2160字(40字×54行)
参考資料